13巻から妄想する静帝SS



 あれから数か月。
 ヴァローナが抜けた穴に静雄は慣れ始めていた。
 一緒にケーキを食べに行く人間が消えた。自分にいつの間にか攻撃をしかけてくる人間が消えた。
 それは最初は大きな物だった。特に静雄の人間関係は乏しいから。
 しかし、今では、トムがたまに「あいつはどーしてんだろーなあ」と言うので、思い出すくらいになった。
 だが、今でも思い出す時は、胸に忸怩たるものがある。
 それはヴァローナが消えたのは、結局は静雄のせいだからだ。静雄が怒りにまかせて臨也を倒そうとした結果、静雄を庇ってヴァローナは消えた。
 折原臨也もこの町から消えたが、それでも喪失には変わりがない。

「……へえ」

 うん10周年を記念して老舗のケーキ屋でケーキバイキングがあるらしい。
 配られたチラシを見て、静雄の心は喪失→怒りに変化しかけた。
 静雄の顔がしかめられたのを見てチラシを配った人間は瞬く間にその場から消えた。

「あの、それ行きたいんですか?」
「ああ?」
「すみません。僕の知り合いが一緒に行く人を探してたのを思い出して、静雄さんも知ってる人ですよ」

 誰だったかな、と静雄は考えている。
 最初は馬鹿にされたか喧嘩を売られたかと考えたが、どうも知った顔だ。
 ああ、そうだパソコンに詳しい兄ちゃんだと思い出す。

「狩沢さんって分かります? ほら、いつも門田さんや遊馬崎さんと一緒にいる……」
「ああ、知ってる」
「一緒に行ったらどうですか? あ、デートとかそういうんじゃなくて。狩沢さんは二次元にしか興味がないらしいですし」
「兄ちゃんはどーなんだ」
「え、僕ですか。アニメだったら普通に見ますけど、別にそんなに熱心な方じゃなくて」
「そっちじゃなくてお前が一緒に行ってやってもいいんじゃないのか」
「甘い物って、そんなにたくさん入らないんです。あったら食べますけど」

 へえと静雄は驚く。何となく少年めいた容姿の彼が甘い物が苦手というのがイメージにそぐわない。
 静雄はものすごく好きなのに。

「だったら、兄ちゃん、これつきあわないか」
「は?」
「その狩田だか何だかはこの場にいねーだろ。俺は今、暇なんだ」

 取り立て屋は見た目ほど自由ではない。
 急に上から依頼が入る事があるから、予約していたケーキバイキングに行けなくなった事は一度や二度ではない。
 今ならすいているはずだ。
 学校は終わっている時間だが仕事はそうではないし、平日だ。

「金なら俺が出す。お前もあったら食べるんだろ?」
「それくらいのお金なら僕だって持ってますよ」
「学生が遠慮すんな」

 というわけで静雄は少年を連れてバイキングに向かった。
 行動を起こしながら自分にしては珍しい、と思った。
 静雄は自分から人と距離を取る方なのだ。
(俺はケーキバイキングによほど行きたかったんだな)と思う。
 それに、帝人と面識があった事も大きいだろう。

「ヴァローナと、ここに来る約束をしてたんだ」

 それに、この話を誰か関係のない人間にしたかったのかもしれない。

「あいつはもういねえけど」
「静雄さんは、ヴァローナさんのこと、好きだったんですか?」
「好きっつーか普通に話せる奴は多くねえからな」
「連絡は取ったんですか?」
「いや」

 質問に静雄は責められたような気分になった。
 
「ロシア語なんて分からねえし」

 帝人は「そうですね」と宥めるような答えをくれた。
 ロシア語でわざわざ書かなくても、ヴァローナなら日本語の文章もある程度読めるはずだった。
 賢い帝人がそれに気付かないわけもなかったから、気を使ってくれたのだろう。
 それなりに血の巡りが悪くない静雄は、帝人の気遣いを悟ってしまって、へこみもすれば、ありがたくも思った。

「人間関係ってなるようにしかならないのかなって、最近思うんです」

 それが枕詞のようだったので、静雄は黙って帝人の目を見た。

「僕も友達がいて――ずっと仲違いじゃないですけど、すれ違って、会う事もなくてって友達で、休学の期間が長かったから、落第するかもしれないんですけど」
「紀田正臣か」
「知ってるんですね、さすがです」
「さすがじゃねえよ。あいつが俺んとこにやってきて、落とし前をつけたいとか言ったんだ。それだけだ」

「でこぴんをした」と話すと「いつですか? 正臣生きてますか?」と帝人の顔に焦りが浮かんだ。

「だいぶ前だ。あいつはまだ生きてるだろ」
「……正臣って頑丈だったんですね」

 しみじみしている帝人。

「お前にもやってやろうか?」
「いいです。僕、命は大事にするタイプなんです」
「マジか。新羅の話とは違うな」
「新羅さん僕のこと、なんて言ってたんですか?」
「ああ、命知らずだってよ」

 少し苦い顔になったのは、それが「臨也と同じくらい」という形容詞があったからだ。
 帝人は静雄の苦い顔は気にしていないような顔で、飲み物を飲む。

「ひどいですね。そんなでもないですよ。とにかく……僕が言いたいのは、いつか、ヴァローナさんも池袋に戻ってきて、なるようになるんじゃないかって事です」
「楽観的だな」
「きっとそうなりますよ。この町は再生能力が強いですから、そのうち」
「そのうち、あいつまで戻ってくるかもしれねえな」

 と言ってから一気に嫌な気分になる。
 なるほど、この話もしたかったらしいなと静雄は自分を分析する。
 折原臨也の再びの来襲。それを静雄ほど嫌悪しているものもこの池袋にいないだろう。
 そして、そんな事をトムに向かって口にすれば、本当になりそうで恐ろしかった。
 愚痴をこぼすと奴が来る。そんな事は今まで何度もあったのだ。

「どうでしょうね」
「否定しといてくれ、そこは」

 しかし否定されたらされたで「そんなの分からねえだろ」と文句を言ってしまったかもしれない。
 さっきから、帝人はケーキバイキングのつまみのような鳥の空揚げとサラダを主に食べている。

「お前は甘いもんはマジで食わないのか?」
「静雄さんがおすすめをとってきてくれたら食べますよ」
「……なら、取ってくる」

 と言って静雄は取ってきたケーキを帝人に渡す。

「これはマジで美味いんだ食べてみろ」

 ああ、俺はヴァローナにも似たような事を言ったな、と静雄は思い出す。
 少しさみしくなったが、帝人が「甘いですね」と、顔をこわばらせると、噴出した。

「そりゃ甘いだろケーキなんだからよ」
「静雄さんが元気になってよかったです」

 眉間に難しそうなしわを刻んだまま、帝人は「もぐもぐ」と咀嚼する合間にコメントする。

「苦手なら残してもいーだろ」
「そういうのはバイキングのマナーに反するんじゃありませんか」

 言われた事はもっともだったので、静雄も頷く。

「まあ、がんばれよ」

 口にすると静雄が自分自身に言うべき言葉のような気がした。
 いや、これまでの数か月、静雄はけっこう頑張ってきたのだ。
 自分のせいでヴァローナがここを去らざるを得なかったという罪悪感を払しょくすべく。
 臨也がまた来て、自分の残りの人間――幽とかトムとか茜とか――がこれまた池袋を去らねばならなくなったら、という恐怖と戦いつつ。
 仕事に精を出して来たのだ。
 今、静雄はとてもリラックスしていた。
 砂糖の塊が静雄の脳みそを酔わせていたのかもしれないが、静雄はそれを目の前の少年のおかげだと考えた。

「お前、時々、俺と飯食わないか」
「いいですよ。でも今度は僕も払いますよ。一応、バイトも始めましたから」
「そーか」

 それから静雄はちょくちょく帝人と遊ぶようになった。
 帝人はいい話し相手だった。
 自分を怒らせない人間は少ないと静雄は知っていて、怒らせない帝人をありがたく思うようになった。
 もっとも静雄の方でも多少ブレーキをかけていた。帝人はいかにも線が細い。
 こんな相手をうっかり殴りでもしたら死んでしまうのではないか。

「静雄さんは、よく食べますね」
「そうか?」
「その摂取量が筋力につながってるんじゃないでしょうか?」
「違うと思うな。俺を化け物たらしめてんのは、たぶんに俺の怒りだ」
  
 感情だ、と静雄は思う。それを飼い慣らせない静雄の問題だ。

「それだけ怒れるなんてすごいですね」

 ヴァローナと帝人の共通点は大まじめなのだが、どこかかなり、ずれているところだった。感心しているようだ。そしてヴァローナは静雄と渡り合うだけの力があったから静雄を恐れないのにも理由があったが、帝人の方は確実に殴り殺される事請け合いなのに、静雄を全く恐れていないようだった。

「お前は怒る事ねえのか?」
「ありますよ」

 こいつの事だから、どうせ大した事ないだろうな、と静雄は思った。
 
「一回、後輩にかっとなって、暴力をふるって、すぐに落ち込んだ事があります」
「お前でもあんのか」
「きっとだいたいの人はありますよ」
「血みどろみたいなんじゃねえだろ」
「そこまではいきませんけど、それは単に僕に体力がないからでしょう」
「ああ、そうか、かもな・・・・・・」

 誰もがそこそこ、そんな暴力の因子は持っているものだと帝人は諭す。
 特別なのは、静雄がちょっと力持ちな事くらいだと。
 そう言われるとそんな気分になってきて、普通だと言われる事があまりにもいい気分なので、静雄は帝人といるのが楽しかった

 

 ところがある日。

「こんにちは、平和島静雄さんですか?」
「お前は誰だ」

 気に食わない。顔を見るなりそう思った。小柄な少年だが、何となく臨也に似ていると、一目見るなり判断した。

「黒沼青葉です。帝人先輩と仲のいい人間の事はだいたい把握しておきたいです」
「何なんだ、お前は。あいつのファンか何かか?」
「ああ、そうですね。いい言い方かもしれません」

 あははと笑っているのにどこか軽薄でとげとげしい印象を受ける。

「一つ言っておこうと思いまして。帝人先輩は、折原臨也とも仲がよかったんですよ」
「!!」
「だから平和島静雄さんには複雑な気持ちを持ってると思うんです。仲の良かった人を半殺しにして――あっ、もしかしたら死んでるかもしれませんね。折原臨也の事はあんまり好きじゃないんで死んでてくれると助かるんですけど――。あ、話がずれましたね。だけど平和島静雄さんに帝人先輩は憧れてもいたんですよ。だけど複雑なんじゃないかなあ」
「お前は何が言いたいんだ」

 ばきばきと拳を鳴らす。
 やめろと頭の中で警鐘が鳴る。
 こいつは折原臨也じゃない。こいつまで半殺しにしたら本当に怪物と変わらなくなる。
「お前はな、俺の大嫌いな奴と似たようなにおいがすんだよ」

 静雄の拳は既に固まっている。

「へー、そうなんですか? 折原臨也と? やだな。言ったでしょ。俺あいつ嫌いなんですよ」
「俺はあいつが嫌いだし、お前も嫌いだ」
「見ただけで嫌いって分かるんですか?」
「いいから俺の前から消えろ」
「聞きたくない事、聞かされたから怒ってるんですよね?」

 目を細めて青葉が首を傾げる。
 一言話すごとに、臨也を思い出す。
 
「これから帝人先輩にどう接していいか、分からないんでしょ?」
「てめえ、そこ動くなよ」

 殴るまいと思っていた気持ちを怒りが凌駕する。

「あっはっは! 怖いなあ!」

 青葉が片手をあげるとバイクが走ってきた。その尻にまたがるとバイクが走り出す。
 かっとなった静雄は投げつけようと自販機に向かったが、その手が途中で止まった。

「静雄さん?」

 と帝人に声をかけられたからだ。

「竜ヶ峰・・・・・・」
「あれ、青葉君って言って、その、この間、言ってた僕がかっとなって暴力振るっちゃった事のある後輩なんですけど」
「そうか」

 今や、その件について静雄は全面的に帝人の側につく用意があった。
 確実に悪いのは青葉の方だと直感できた。

「色々、ちょっと問題を起こす子ではあるんですけど、その、それ投げると、当たるかもしれませんし・・・・・・あの子は臨也さんとは違うので」

 臨也さん。
 折原臨也の名前を帝人が明確に持ち出すのは、今が初めてだ。
 きっと静雄の前で遠慮していたのだろう。
 そして今持ちだすのは、青葉から聞いたのだろうと考えているからのはずだった。

「お前、あいつと親しかったのか?」
「そこそこ。まあ、ちょっかいをかけられて、こっちも何か問題があった時に相談するような間柄でしたけど」
「・・・・・・だったら俺のことが憎いんじゃないのか?」
「いえ、そんな事はないです、でも、静雄さんは僕が臨也さんと親しかったって聞いたら憎いんですか?」
「分からねえ」
 
 と静雄は吐き捨てる。

「俺はあのノミ蟲のことは憎い」

 様々な迷惑をかけられてきた。あれのせいで、就職は失敗し、仲間は失われ、自分は自分を怪物だと思ってしまっているからだ。

「臨也さんの妹いますよね、双子の。静雄さんに懐いてますけどやっぱり憎いですか?」
「それは・・・・・・あいつと舞流と来瑠璃は違うだろ」
「だったら、僕も憎くないですか。そうであってほしいってだけなんですけど」
「・・・・・・まあ」

 そうだ。その論理でいくと、帝人に複雑なわだかまりを持つ方がおかしい。
 折原臨也はこの町の少年少女の50パーセントを騙しているくらいの男なのだ。
 帝人に少しばかり因縁があったとして、なぜ、こんな気持ちになるのか。

「お前は黙ってた」
「そうですね。でも、臨也さんの名前、聞きたくなかったですよね」
「・・・・・・まあな」

 今も帝人が臨也の名前を呟くたびに、何とも言えない厭な気持ちになる。

「静雄さんも僕も痛み分けなんじゃないですか」
「痛み分けってな、どういう意味だ」
「人一人失って、それで、また新しく人間関係を築いて、だから、それでいいかなって思ったんです」

 苦笑いをする帝人を初めて静雄は殴りたくなった。
 折原臨也の代わりだと言われるのは耐えられなかった。
 静雄にとって竜ヶ峰帝人はヴァローナの代わりだとでも思っているのかと思った。
 違う。ヴァローナは帝人のようにぽんぽん質問したり、非日常に憧れたりしなかった。帝人と違って自分をしょっちゅう殺してこようとするので、最初は危なっかしい事、この上なかった。帝人といるといつも落ち着いた。
 そして、ずっと一緒にいたような和やかな気持ちになった。

「くそっ!!」
 
 静雄は拳を地面に向けた。
 マンガなどでよくあるように地面に亀裂ができて、ゆで卵のからにひびが入ったような丸の形のひびができた。

「僕が黙っていたのは静雄さんを騙したいわけじゃなくて、このままでいられたらいいなって思っただけです」
「・・・・・・」

 それも静雄には何となく分かっていた。だが、帝人にそう言われると救われたような気持ちになった。
 俺は子供なのかもしれないと思った。
 帝人に感情をぶつけている。
 だいたいどうしたいのだ。臨也の代わりなら他を探せと言いたいのか。臨也の事を考えるなと言いたいのか。

「俺は・・・・・・」

 続く言葉は口から出てこなかった。




 そしてそれから一週間後ーー。

「うまいな」
「おいしいですね」

 静雄と帝人は向かい合ってケーキを食べている。
 あの時何も言えずに帝人を去らせた静雄ではあるが、その後帝人をケーキバイキングに誘った。「これ行かねーか」と。帝人は同意した。その顔は屈託がなかったが。

「お前さ、無理しなくてもいいんだぞ」
「何がですか?」
「いやケーキ。甘いの苦手なんだろ」

 今日の帝人はやたらとケーキを食べている。

「割と食べてみると美味しいものですよね」

 それは自分たちの関係の事なのか、とにかく帝人が変な方向に努力してくれているのは伝わってくる。
 可愛いと男相手に思ってしまって静雄は混乱した。

「だろ」

 と言って静雄もケーキをもくもくと食べた。
 今度は手を離さなかった、と思った。
(後はあいつが帰ってこなければいい、いつまでも)
 その想いがどこからきているのかは、まだ分からなかったが。

【完】