戦争サンド・臨帝エンド



「いい人になるよ本当だよ」と臨也が言ったあの台詞が実行可能なものなのかどうか、帝人は知ってみたかった。
 だから、臨也にそう言ったところ、その場で抱きしめられ、彼の家に連れて行かれた。

「ああっ、嬉しいよ、帝人君、これからはずっと俺と一緒にいてくれるんだね、俺を愛してくれるんだね、そして俺と君の愛は永遠に続くとかそういう話なんだ よねえ!」
「臨也さん、そこまで言ってません」

 さらに抱きしめてキスをしてこようとする臨也の胸を帝人はどついて突き放す。その瞬間、一瞬だけ怖い目をしたが、臨也はすぐに微笑んだ。

「だったら、信じてくれたら俺のものになってくれる?」
「はい」

 翌日、情報屋を臨也は廃業していた。
 そしていかなるツテとコネクションと脅迫を使ったのだか、某企業のコンサルタント的な位置におさまっていた。

「いってきまーす」

 どうせ続きませんよ、と帝人は言ったが、結局、臨也は三ヶ月以上、普通にサラリーマンをしている。ちゃっとネクタイを結んでさっと出かけ、かなりくたく たになって帰ってくる。帝人は「帝人君が部屋に住むのは取引の一部だからね!」と言われたのでそこで暮らす事になった。
 臨也はとある日曜日に帝人を抱いた。
 そっと優しく扱われた。未来の暴行が嘘だったように。
 何も喋らなかったので、臨也らしくなく、怖くなって、何度か「臨也さん」と呼ぶと「あんまり煽らないでよ」と笑われた。
 体を重ねるつもりなど帝人にはもう全然なかったのだが、それでもそうしてしまったのは、臨也が臨也らしくない臨也のままでいるのが珍しかったからだ。
 いったいこのゲームはいつまで続くのだろうと帝人は知りたかった。
 彼は出かける時、キスをねだる。
 キスをしないで出かける時もあったが、ああキスして貰うの忘れた、といって戻ってくるから結局忘れてはいないのだ。

「何でこんな外国じみた恥ずかしいことしないといけないんです?」
「だって俺は帝人君のために俺を変えてるんだからさ。帝人君だって俺のドラマにつきあってくれるべき」

 その言い方に帝人はぐっときた。ぞくんと体の筋が震えるような感覚。
 もともとの臨也の話し方だったからだ。

「……はい」
「うん、いい子」

 さっと臨也は片手をあげた。

「行ってくるよ。今日は少し遅くなるかもしれない」
「あ……はい」

 スーツ姿も決まっている。かっこいい。
 だが、これは……臨也なのだろうか?

「臨也さんが、まともな生き物になるとは思ってなかったんだけど、ああいうことってあるんだな」
「人よりも遅く大人になる人っていますものね」

 と友人達のそれはかなり高評価である。
 杏里のそれが微妙に毒舌なのだが、それについてはおいておくとして。
 新羅とセルティも、臨也の変身を快く受け止めてくれていた。

「すごいよね、愛の形って千差万別だとは言うけどさ。自分を完全に変える愛ってのはなかなかないよ。しかもあの臨也だよ? 中二病末期患者回復不可能と言 われたあの 臨也が」
「ちょっと変な言い方しないで下さい」

 ここで怒るあたり、自分は臨也の事を恋人として捉え始めているのだろうと自覚してしまう。 

『では新羅。お前も私のために寡黙な男になれるか?』
「えええっ、ちょっ、セルティ、それハードル高すぎるよ! 高度成長期じゃないんだから、もうちょっとぬるめな目標を頼むよ!」
『いや、今の臨也の様子を見ていると少し、帝人が羨ましくてな』

(羨ましいかあ……)

 とぼとぼと道を歩く。
 そういえば、張間美香にも「うらやましい」と言われた。

「自分のためにそんなに頑張ってくれるなんて、羨ましい。私も誠二さんが私のためにそんな事をしてくれたら……ああ、でもきっと嫌になっちゃうかも!  だって私は私が追いかけていくのがすきなんですもの!」

 あの時、そうか張間美香はそんなふうに誠二が好きなのだと思ったものだが。
 別に帝人は臨也のために何一つ頑張った覚えはないし、未来に行くまで自分の事を臨也が好きになる未来があるとも思わなかった。
 過去に戻ってくるまで、臨也があれほど悪辣な人間だとも知らなかったわけだが。
 静雄の評価だけは聞いていない。聞けないのだ。彼は池袋を離れた。ロシアに行くと言っていたらしい。それも自分が臨也を選んだせいかと思うとものすごく 気が重い。
 だいたい、帝人はノーマルで杏里が好き、だったはずなのだ。
 しかしその恋心を上回る仰天事態が起きてしまって、男は恋愛の優先順位が低いという通説が自分に当てはまることを自覚すると共に、なし崩しに臨也のもの に なっているだけだ。
 その、はずだ――。

「ただいま帝人君、今日も君に会いたい一心で仕事してたんだよ」

 自分が囲っている帝人に抱きついてぎゅーとしてくる臨也。
 
「あ、ありがとうございます」

 ありがたい。住まわせてくれているのも。優しくしてもらえるのも。
 自分のために生き方を変えてもらったのも。
 それなのに、帝人は気づいてきてしまった。
 自分はどうやら、いい加減で、大言壮語をほらふき(新羅談)、友達がおらず、まともな仕事もせず、しじゅうコートをまとって(スーパーマンもどきのつも りか?)新宿を闊歩する痛い情報屋の折原臨也が好きなのだと。
 あれは静雄と同じこの大都会の非日常だった。
 今でもダラーズの掲示板を見てそういえば最近、戦争コンビ見なくね、という書き込みを見るたびに胸が痛くなった。
 スーパーマンたちを池袋から追いやってしまったのは自分なのだと思った。

「あの、臨也さん、お願いがあります」
「何? 何でも聞くよ?」
「僕、もうここから消えます」
「……え?」

 臨也の口がぽかんと開く。

「悪いとは思ってますし、臨也さんにはよくしてもらったとも思ってます。でも、僕が好きなのはおかしい臨也さんなんです。人にひどい事さえしなければ…… いや、まあ情報屋の仕事の間にしなくちゃいけないこともあるんだろうけど、とにかく……今の普通の臨也さんには僕は興味を抱けないんです」
「何、それ……だ、だって俺にいい人になってほしかったんでしょ?」
「普通の人には興味もてないんです」

 まるで涼宮ハルヒのような台詞をつむぐ帝人。
 しかし、それが帝人のたどりついた事実だった。
 臨也に抱かれて気持ちよかったのも、臨也が美貌だからだけではなかった。彼がこの新宿のこの大都会の名だたる情報屋、名だたる悪党だったからだ。
 抱かれた有名人を誇るグルーピーのようなものだ。サイン以外の値打ちはなかったのだ。
 そう思ったからこそ別れようとした。
 だが、この別離を口に出した時、自分で驚くほど胸が痛んだ。
 帝人も臨也を思った以上に、好きになっていたのだ。彼と休日過ごす時間や、なんとないやり取り。その中に、あのうつけ者だった折原臨也を見つける時。帝 人は彼をやはり好きだと思った。
 だが、帝人は臨也といるわけにはいかない。

「はは、何言ってんの……俺……」

 あの未来の顛末が自分の体に到達した時(ああ、俺はなんてバカなんだろう!)と思ったのだ。
 臨也は誰も好きになった事がなく、帝人は彼の再愛の人だったにも関わらず、逃してしまった。
 だから全部リセットしようとした。

「俺がんばったじゃなか。いったい何がだめなの?」
「臨也さんにはいつもの臨也さんでいてほしいんです。人を傷つけたら軽蔑するし嫌いになりますけど」

 帝人はぺこりと頭を下げた。
 彼は、臨也の自分に対する執着を甘く見ている。

「というわけなので、僕は、その」

 さようならと言って終るつもりだったのに、胸が痛くて、まだ何かやり直す術があるのかもしれないと感じる。

「ははは、それで終わると思ってんの? 俺のものでいるのやめるって、はいそうですかって逃がしてあげると思ってんの?」
 
 臨也の口調が、がらりと変わった。
 やけになったのだ。

「もうどうすればいいのか、わかんないよ。俺は君のために全てを犠牲にしたんだよ」

(だからって)と帝人は思った。
 この人は子供なのだ。分かっていない。
 自分がやったいい事だけが全て、自分に報いとして返ってくる、そう信じている。
 おまじないを唱えたらサンタクロースがやってくるのと同じように。
 そんなわけがない。帝人の方が世界観はよほどシビアなのだ。杏里を好きになる時だって、杏里が正臣の方を好きになったら祝福できるだけの覚悟があった。 それはもしかしたら、本当には恋なのではないと臨也なら言うかもしれないが。
 臨也と離れるのは帝人にとっても辛いと説明しても分かって貰えないだろう。

「何? じゃあ、基本的に人を傷つけなければ、まともじゃない俺の方が好きなの? それなら、もうこんな努力やーめた!」

 ばっとネクタイを外す。その仕草も、俳優のように美しい。

「じゃあ、もう帝人君に優しくするのもやーめた!」
「臨也さっ……んっんん」

 唇を奪われた。乱暴なキスだ。後頭部に手をかけられて、がっちりと固定されたまま貪られる。
 またぞくぞくぞくん、と性感を煽られてしまう。
 これまで週に一度、それも臨也が「帝人君、疲れてなかったらでいいんだけどさ」と優しく頬に額にキスをして、そっと撫でてからしてくれたのに。

「君のために頑張ってきたのに、君を失いたくなかったのに、それでも捨てるっていうなら、閉じ込めて俺のものにするしかないよね?」

 臨也はようやく唇を離すと恐ろしい事を恐ろしい目つきで言ってのける。

「結局、嫌われるんだ。だったら、君の好意なんてもう期待してあげない」
「嫌いじゃ、ないです」

(僕の臨也さんだ)

 その考え方自体が危ないものだと分かっているのに、それなのに、帝人はうっとりした。
 結局、帝人の好きな非日常になれば、彼に惹きつけられてしまう。

「臨也さんの事、臨也さんが思ってる以上に好きです」
「からかってるの?」

 悪態でもつきそうなぎらぎらした目で自分を見る臨也に、帝人は言う。

「人を傷つけない程度に元の臨也さんに戻って下さい」

 そんな中庸の美徳が臨也にはたして体現できるのか、はなはだ不安ではあったが、そう言ってみる。
 怒っていた臨也の目が心もとない光を帯びる。

「そうしたら一緒にいてくれる? そうしたら俺の事、また好き?」

(やっぱりこの人はあれだなあ)と帝人は思う。中二病で極端な事しかできなくて自分が好きでたまらない情報屋。
 そう思ったら安心してきた。泣きそうになってきた。
 要するに、自分はまともでない臨也が好きなのだ。

「好きです……臨也さんが臨也さんじゃなくなってほしいわけじゃ、ないんです……んんんっ……んっ……」

 今度のキスは先程のそれよりも、ずっと優しかった。
 まともを装っていた頃の抜け殻がまだ少し残っているように。

「やっぱり、好き、みたいです……」
「そうだろうね。俺みたいないい男はさ、なかなか世間にいないよ?」

 帝人は、帝人のよく知っている臨也に自分からキスをした。
 別れないで済んで良かったと思った。彼の手が自分の体をまさぐってきても、逆らわなかった。

「ふーん、無理やりこうやって明るいうちからされるのが好きなんだ?」
「……臨也さん、あんまり調子に乗らないで下さいね」
「何言ってんの。帝人君が元の俺に戻れ、って言ったんじゃないか。それはこれも含んでるんでしょ」

 ぺろりと舌なめずりをして、臨也は帝人を貪り出した。
 今までどれだけ我慢してやったと思っているのだ、と腹いせにかなり喘がせてやった。
 しかし、どれだけ荒くしても、帝人をいたぶってやっても、結局、帝人は臨也の背中に手をまわしてくれていて、臨也は、それにも満足した。
 やっと自分のかぶっている猫を脱げた気がする。まともな会社なんてくそくらえだ。明日やめよう。そして帝人を好きな時に抱く。帝人をからかって、帝人の 送り迎えにもついていってしまおう。鬱陶しいと言われるくらいにキスだってする。


 臨也が情報屋に返り咲くのは簡単だった。

「波江さんにまだ情報屋としての事務をさせてたからね、何かの時に役立つかと思って」
「……波江さんの話を聞いたのも今日が初めてなんですけど」

 帝人は、じとっとした目で臨也を見る。

「なんか臨也さんを完全に変えるなんて不可能なんですね」
「変わった俺は好きじゃなかったくせに。捨てようとしたくせに」

 ぷう、と臨也は頬を膨らませる。

「こういう俺が好きなんでしょー、もー。わかったよ。で、悪い事は控えめにする、と。君の友達や知り合いには悪い事をしない、と」
「そうです。当たり前です」

 臨也が情報屋に戻った、その顛末を帝人から聞いた全員が目を遠くした。

「帝人君、何て勿体ない事を! せっかく君のために頑張っていたのに! 臨也は、もう絶対まともにならないよ?! 最後のチャンスだったのに! それが僕 やセルティにも迷惑を及ぼすってわかってるのかい帝人君。ダメな臨也の方が好きって君、それなら、普通にどこかでダメ男を見つけてくればいいだろ? いく らでもいるよ!? ごろごろいるのに! あの臨也をダメ男に戻したりしないでよ!」

 と新羅が一番激しく反応したが、大体、他の人たちも同じような反応だった。帝人の好みは池袋と世界に多大な災厄を放ったも同じことらしい。
 考えない事にしよう、と帝人は思っている。災厄の箱を開けたパンドラも同じようにしたはずだ。

「でも臨也さんスーツは似合ってましたよね」
「え、何それ本当? じゃあ、今度スーツ着てしよっか? 今度っていうか、今しようか?」

 臨也はパソコンの前でぐるっと椅子を回転させた。
 にまにましている。
 
「ネクタイで君のあちこちを縛ってあげるのもいいなあ。あ、それはもう、サラリーマンやめたお祝いに、やったっけ? 帝人君、すごく可愛い顔で鳴いてくれ たよねえ」

 意地悪く言ってやれば帝人が頬を赤くする。

「俺の帝人君。君が望む限り、俺はこういう俺であるよ」

 その方が、ずっと楽なのだし。 

「ほどほどで、お願いします」
「どうかなあ?」



【完】