罪木と狛枝を喧嘩させてみる狛苗SS


「ふえええ、転んでしまいましたあー」
「うっ、うわああああ、ごめんなさいい」

 転倒に巻き込まれた苗木の方が必死に謝罪する。
 なぜなら罪木蜜柑がぱっかあんと足を大きく開いてその足の間に苗木の顔があるという、はしたない状況だからである。

「苗木君! 何をしているの!」

 しかも、霧切が苗木を怒ってくるというのもある。
 これはかわいいと思っている苗木に、色気に満ちた女子が絡んでいる事への嫉妬なのだが、そんな霧切の乙女心は通じていない。
 ひたすら怒られて怖いわ、恥ずかしいわである。

「ちっ、違うよ! あの、これは、その事故で!!」
「ごめんなさいごめんなさいいい、私がゲロ豚だからなんですうー!! 落書きしてくれてかまいませんからあ!」
「いやいやいや、どいて! 頼むからどいて! 目つぶってるから!!」

 苗木はパンツを見た途端、目がつぶれるとばかりに目をぎゅうぎゅう閉じている。

「ご、ごめんなさい。私なんかの汚いパンツなんて見たくないですよね。ごめんなさいい」
「ち、違うから、とにかくどいてええ!」

 苗木は自分に女難の相でもあるのではないかという気がする。
「離れなさい」と霧切が無理矢理、罪木をひきはがした。

「本当にすいませんでしたあ・・・・・・」

 ぺこぺこ頭を下げる罪木に「う、ううん、悪いのは前を見て歩いてなかったボクもだから」などと、つい庇ってしまう。
「そうなの? 苗木君?」と、霧切に襟首を掴まれたりしてしまう。

「はひゅう・・・・・・優しいですう・・・・・・ありがとうございます」

 にっこり笑うと実に可愛いらしい。
 癒される。さすが超高校級の保健委員だなあと苗木は感心した。
 他のメンバーたちもそうだが、なぜ江ノ島盾子に心酔してしまったのか、分からない。

「でもさ、廊下はお互い走らないでおこうね」
「はい。あのう、私、苗木さんに用があったんですう・・・・・・」
「それは何の用なのかしら?」

 霧切が苗木を庇うように腕組みして立つ。

「え、ええと、あのう、私とお友達になってくれたりしないでしょうか・・・・・・」
「お友達?」
「ご、ごめんなさいいい。私なんかだめですよねええ! ごめんなさい、ごめんなさいい〜!」

 このノリに苗木は強い既視感を感じる。
(なんだろう、こういう人をボクは、よく知ってる気がする・・・・・・はっ、そうか! 狛枝君だ!!)
 狛枝凪斗。
 苗木と同じ超高校級の幸運。
 ただし、苗木とは桁外れの幸運で、その代わりに同じくらいの不運を背負う。海外の怪談、猿の手のような男が、狛枝だ。
 狛枝はその体質のせいで自分を厭っており、自分なんて、とかゴミクズ、とか、頻繁に口にする。
 江ノ島盾子を破った苗木に感心したらしく、最近よく苗木の近くに寄ってくるのだった。

「こ、狛枝さんと仲良くしてる苗木さんを見て・・・・・・これなら、私もいけるのでは、なんて思ってしまったんですうう。め、迷惑ですよね。ごめんなさい、ごめんなさいい」
「金融詐欺にひっかかった途端、次から次へ、かもにしようと詐欺師たちがやってくるのは、きっとこんな感じなのかもしれないわね」

 頷く霧切。単刀直入に迷惑というよりもずっと迷惑だと言い切っている。

「そ、そこ、そういう納得の仕方、するとこ?」
「少なくとも私はそう解釈したけれど、違うのかしら?」

 しらっとした回答だ。

「そんな事ないよ。だってボクたちはそのためにここにいるんだし」

 具体的に言うと目覚めた、元絶望の全員たちと仲良くなり、彼らの社会復帰を手伝うためにいるわけである。

「うん、罪木さんとも仲良くしたいよ。もちろん」
「うわあ・・・・・・ありがとうございますう・・・・・・私ぃ・・・・・・最初は江ノ島さんを倒した苗木さんの事、許せなかったんですう・・・・・・」

 一瞬、罪木が恐ろしい表情を目に宿す。
 びくっとした苗木より素早く、霧切が苗木を背後に庇う。

「でもお・・・・・・逆に考えてみたらあ・・・・・・江ノ島さんと一番近かったのは苗木さんなんじゃないかと思えてきてえ」
「え、何で?」
「だってえ、絶望と希望は紙一重っていうじゃないですかあ、うふふっ。江ノ島さんは、苗木さんに執着してたみたいですし、江ノ島さんのほしい物は私のほしい物ですう」

 ごくりと苗木は唾を飲む。
 果たして罪木蜜柑は、本当に絶望から立ち直ったのだろうか?
 それとも、そのふりをしているだけ・・・・・・なのだろうか?
(いや、でもいきなり、江ノ島さんを嫌いにならなくたっていいんだろうし・・・・・・)
 アイランドの中で彼女は「江ノ島は自分を許してくれた」と言い張っていた。
 あれだけの信仰に近い愛情をいきなり手放せというのも酷である。

「だから・・・・・・苗木さん、仲良くして下さい」
「それは違うんじゃないかな!」

 と、ここで走り出てきたのが狛枝である。

「こ、狛枝君、いたんだ・・・・・・」

 狛枝凪斗は「こ、狛枝君」と一呼吸置いた名前呼びをされるのにふさわしいような生き物である。

「うん、いたよ、苗木君! 苗木君は今日もかわいいね!」
「え? あ、ありがとう・・・・・・」

 かわいいなんて言われるのは年頃の男子としては嬉しくないのだが、下手に狛枝の言葉を否定すると後が怖い。怖いというか長い。
 ごめんね苗木君、こんなクズみたいなボクの言葉で君を気分悪くさせてしまうなんて最低だ、あああああ、とか言い出して、それから体育座りになった狛枝の背中を延々とさすり続けなくてはいけない。長い上に暑い(夏だから)。

「世界の希望、苗木君をボクたちみたいな絶望がわずらわせるなんて、不遜な事なんだよ? 君はそれを分かってるのかなあ?」
「ええっそれはそうですけどお、狛枝さんだって気持ち悪い人じゃないんですかあ。なのに狛枝さんだけ苗木さんと接してていいなんて、それはおかしいんじゃないですかあ?」
 
 上から見下す視線で狛枝が罪木を見下ろす。
 罪木も空中のどこを見ているのか分からない視線でそれに答える。

「なかなかいい勝負ね」

 と霧切が冷静な判断を下している。

「う、うん・・・・・・」

 息をのむ苗木は当事者なので、冷静になれるはずもない。

「どちらが勝っても苗木君にはやっかいな未来しか残されていなさそうだけど」
「そんな事ないよ・・・・・・二人と仲良くなれるなんて嬉しい事じゃないか」
「真顔で言い切れるところが苗木君の強みね」

 くすっと霧切は毒気を抜かれたように笑う。

「ボクはね、苗木君が江ノ島さんを倒した所からずっと注目してたんだ。彼こそが希望の塊だと思った。今、洗脳からさめていられるのも、苗木君がいるからこそなんだよ。ボクとしては苗木君に、どんな絶望も近づけたくない! もちろんボク自身を含めてだよ?!」

(出た)と思ってしまってから苗木は(そんな事思うべきじゃないな、悪かったな)と反省する。
 しかし、狛枝の信奉するこの主張のせいで、未来機関による更正が進んでいない事も確かだった。
 生き残った6人の中で苗木が一番フレンドリーなのだ。
 朝比奈と葉隠がそれに準じるが二人とも今一つ腰が引けている。霧切と十神はやる気があるのだが威圧的でコミュニケーション能力にかける。腐川とジェノサイダーは(同一人物だから当たり前かもしれないがそろって)そもそもやる気がない。
 苗木が絶望のメンバーに話しかけようとすると、狛枝から邪魔が入る。

「やりやすいからといって苗木君が、狛枝君から陥落させたのは、どう考えても失敗だったわね」

 こめかみを指でおさえ、長いため息をつく霧切である。

「せめて籠絡するくらいの知恵があってもいいのよ」
「どこが違うの?」
「説得する事と丸め込む事の差よ」

 確かに狛枝は丸め込まれてはいない。
 どころか、最初から「やあ、苗木君、こんにちは。前から君と仲良くしたいと思ってたんだ」と手を握ってきたのは狛枝なのだから、思い通りにされているのは苗木の方かもしれない。

「そ、そんなのずるいですう、苗木さんは狛枝さんだけのものじゃないはずですう」

 拳を丸めて抗議する罪木。

「もちろんそうだよ。苗木君は世界の物だからね」

 とそれに対応する狛枝がまたふるっている。

「ボクは苗木君を汚れた絶望から守るために苗木君のそばにいるんだよ!」

 かっと開いた目で笑顔をふりまく狛枝は鬼気迫っている。

「そ、それは私は汚れたゲロ豚ですけどお! それなら狛枝さんだって一緒ですう! だったら私が苗木さんを汚れた絶望から守りますう!」
「え、そこ共通しちゃうの?!」

 思わずツッコミを入れる。

「罪木さんに苗木君が守れるかな・・・・・・? ボクなんて実力行使すら厭わないよ」
「わ、私だって厭わないですう。私にだって注射という武器があるんですからあ」
「いや、待って! それは違うよ! なんていうかボクの意思が全く反映されてないよね?」
 
 否やを入れる苗木。
 基本的に自分を卑下している二人だが、それだからなのか、かえって、人の話を聞かない。

「ボクは皆と仲良くしたいと思ってるんだよ」
「だめですう!」

 と罪木の方が目を閉じて狛枝よりも先に叫ぶ。

「み、皆さんと比べられたらあ、ゲロ豚の私なんてきっと苗木さんに許してもらえませんっ」
「そ、そんな事ないよ!」
「そうよ、皆同じようなものよ」

 と霧切が容赦ない本音をつきつける。
 実は苗木もそう思っている。自分たちメンバーを含めて、ありえないほど個性的な人々が勢ぞろいしているので、そもそも比較なんてものが成り立たない。

「許すよ。それが何か分からないけど、罪木さんが許してほしいっていうならきっと皆、許してくれるよ」
「な、苗木さん・・・・・・」
「私も許すわ。よく分からないけど。分からないくらい、許されてることなんじゃないかしら」
「き、霧切さん・・・・・・」

 ぶわっと罪木が目に涙をためて霧切に抱きつく。

「女子で私を許してくれるなんてすごくすごく珍しいですうう!!」

(ああ、なるほどー・・・・・・)と、少し抱きつかれなかった事を残念に思う苗木は健全な男子である。
 確かに、罪木は外見が扇情的なのと性格上、どちらかといえば男子に、より好かれるタイプだろう。当人はそれがコンプレックスなのかもしれない。
「ちょっと苗木君助けなさい!」と、ほとんど組み付かれて悲鳴をあげている霧切の横で苗木は、これで解決とばかりに、ほのぼのしている。

「苗木君が他の絶望にふれて汚れてほしくないんだ。どうして分かってくれないんだろうなあ・・・・・・」
(はっ、そうだ、狛枝君がいた・・・・・・)

 むしろ、狛枝のこの主張の方が、ずっともっと、危険である。
 実際のところ、狛枝は苗木が目覚めたメンバーたちと話しかけていると速攻でやってきて「そんな事しちゃいけないよ苗木君!!」と肩をつかんでゆさぶってくるのである。そうなると、自分たちが江ノ島に与したという後ろめたさを持っているメンバーはそそくさと苗木の前から立ち去ってしまう。

「狛枝君!」

 ぎゅっと苗木は狛枝の手を握った。

「なっ! な、なななな、何? 苗木君っ?」

 しゅうううっ、とやかんが沸騰するように狛枝の顔が赤くなっていく。

「ほら。こうしたってボクは汚れたりしないよ。だって狛枝君は、きれいだから」
「・・・・・・苗木君・・・・・・」

 目に涙をため、見るからに感動したらしい狛枝はちらっと、霧切に抱きついている罪木を見た。それから、じっと苗木を見て両腕を広げる。笑みを消して、じり、じり、じり、と近づいてくる。

「え、な、何? 何なの? 抱きつきたいの?」
「う、うん・・・・・・いいかな? ダメ? ダメだよね、ボクなんか・・・・・・わかってるけど、その、後で殴ってくれてかまわないから・・・・・・」
「い、いいよ。いいから普通にハグしてよ。何でそんなじわじわ近づくの? 怖いよ!」
「苗木君!」

 がばっと狛枝に抱きしめられる苗木は「苗木君、今助けないと、後でどうなるかわかってるんでしょうね!」とそろそろ脅迫の入ってきた霧切の声も頭の上を素通りする。
 微妙な香水の匂いをぼんやりとかぐ。
 そういえば、誰かにふざけてではなく抱きしめられるなんて初めてかもしれない。
 だから、きっと妙な気分になるのだ。

「・・・・・・あ、あのさ、狛枝君」

 微妙な空気を振り払うように苗木は言う。

「これからも抱きついてもいいよ」
「・・・・・・本当?」

 今度はどもってはいないが、声がかすれている。どんな表情をしているのか、苗木にはよく分からない。

「だからさ、もう他の人たちとの会話とか、止めないでくれるよね?」

 これを籠絡というのだろう。
 しかし、それは失敗した。
 ぱっと体を話した狛枝は「それは嫌だな」と、真顔で言ったからだ。

「あのね、狛枝君と同じように、他の人だって絶望に染まったとはいえ、汚いなんてボクは思わないよ。ちょっと道を間違えただけですぐに戻ろうと思えば戻れるんだよ」
「・・・・・・そうかもしれない。うん、苗木君が汚れるとは思わない。でも、なんでだろう。すごく嫌なんだ。どうしてなのかな・・・・・・」

 頬を染めて「分からない」と呟く狛枝に気を取られていて、霧切を助けるのは大幅に遅れ、苗木はそれから数日、不機嫌な霧切とつきあう羽目になるのだった。

【完】