あいさつ。(狛苗)



「苗木クン、愛してるよ」
「うん、おはよう狛枝クン、ここの書類なんだけど見て貰えるかな?」
「ボクでいいの?」
「狛枝クン、英語とか外国語、強いでしょ」
「強いまではいかないんじゃないかな」

 小さい頃、よく海外に旅行していたが、だったらソニアの方がと言いかけて狛枝はやめる。苗木と親しくできる機会は少しも逃したくない!

「分かった、翻訳すればいいんだね。後で苗木クンの部屋に持ってってもいいかな」
「今日は当分図書室で書類仕事してるから、そっちに来てくれるかな」

 少し残念だ。苗木の部屋に行ければ部屋で二人きりというシチュエーションになるのに!
 もちろん無理やり何かをするつもりはないが、苗木の部屋の匂いがかげるだけでも、狛枝は幸せなのだ。

「で、どうかな?」

 狛枝は翻訳した書類を、今、モノミに見てもらっている。

「あの、回想に不自然な点があるでちゅ……」
「何が?」
「愛してるよ、におはよう、なんて返事はおかしいでちゅ!」

 苗木との一幕を詳細にモノミに語ったのがいけなかったようだ。
 パソコンの画面の向こうで桃色の体がみょんみょんと不穏な効果音を伴って、飛び跳ねている。
 彼女の指摘も、もっともなのだが、狛枝にとっては普通の会話だ。

「苗木クンは断れない人だからね。それにボクも「愛してないよ」なんて知ってても言われたくないし」
「それでいいんでちゅか? っていうか、毎日、愛してるなんて言ってるんでちゅか」
「そりゃ苗木クンへの愛を語るのは、なんていうか……希望だしね!!」

 ああっと狛枝は自分の体を抱きしめて涎をたらす。

「うっわ、キモイキモイキモイキモイ」

 辛辣な発言をしたのは、モノミではない。

「っていうかさ、あんた馬鹿なんじゃないの? 相手にされてないんだって」

 毒のしたたるような発言が江ノ島の口から出てくる。
 江ノ島盾子。
 プログラムに閉じ込められた彼女は、このどこのケーブルにもつながれていないパソコンに保存されている。
 現在、江ノ島に会える人間は限られていた。
 彼女に再び洗脳される恐れのない人間。彼女と渡り合える人間。もちろん罪木なんて絶対にだめである。
 狛枝は――江ノ島といる時も完全に絶望してはいなかった事が証明され、彼女と会う資格が与えられていた。

「江ノ島さんだって苗木クンに会いたいくせに」
「何言ってんの、あいつか、あんたか、へっぽこ探偵か、ここのキモプログラムしか会わせて貰えないだけでしょ。ま、あんたよりは苗木の方がマシだけどさ」
「マシ? 苗木クンは世界の希望だよ……」
「世界の希望だかなんだか知らないけど、あんたの希望にはなってくれないんじゃないの? だいたい愛を毎日語った結果、おはようの挨拶と変わらなくなってんでしょ」
「つまり、ボクは苗木クンに想いを押し付けすぎるって事?」

 生前の江ノ島がそうであったように絶望のプログラムの江ノ島も信用ならない存在だ。

「私に恋愛相談してどーすんだっつーの。あんたが失恋して絶望するようにしてるだけかもよ」
「苗木クンがボクを好きになるなんて、期待してもいないよ」

 そして、絶望的な彼女は、ゴミクズみたいな狛枝の悪友のようなものだ。

「ただボクは苗木クンに知っておいてもらいたいんだ。自分がどんなに素晴らしい存在なのか」
「うん。あんたほんっとーに絶望的にキモイ。残姉ちゃん思い出すわ。むしろ残姉ちゃんマシだったわ」

 しみじみする江ノ島に「彼女が生きてたらボクのライバルだったんだろうなあ」と、狛枝もしみじみする。

「マシなアドバイスしてあげよっか」

 にたり、としか形容しがたい不気味な笑みを江ノ島が見せた。

「聞いてあげるよ、何?」
「愛してるって言うのやめてみたら? ほら、押してダメなら引いてみなって言うじゃん?」
「止めた方がいいでちゅ! こいつのアドバイスなんて何をする気か分からないでちゅよ!」

 今は力が戻っているモノミが腕をひとふりすると、江ノ島がボンテージのように縄で縛られる。

「ああん、絶望的ぃぃ!!」

 それでも嬉しそうな江ノ島にモノミが悲しそうな目を向けた。

「倒しても倒しきれた気がしないでちゅ……」
「押してだめなら引いてみな、かあ……だけどさボクが引かれたところで、苗木クンがやれやれ助かったみたいな反応だったらどうするの?」
「いや99パーセントくらいそれでしょ。すっごい絶望を味わえると思うよぉうぷぷぷぷ」

 縛られたまま、身をくねくねとくねらせる江ノ島。

「確かに苗木クンから貰える絶望なら甘美かもしれないな……」

 狛枝も、うっとりした。
 3人の中でモノミの目だけは、どんよりとしていた。



「苗木クン、あ……これできたよ!」

 愛してると言わないようにするのは、なかなか難しかった。
 既に狛枝の中で愛が挨拶になりかけていた。
 だがこの一週間は何とか成功した。

「お疲れ様」

 苗木の方こそお疲れのようで、図書室にいる苗木は目をしょぼしょぼさせている。

「1人なんだね」
「うん。十神クンも腐川さんも先に眠っちゃったから」

 二人きり! 狛枝は弾む気持ちを抑えて「そうか、苗木クンと二人で仕事するの久しぶりだね」と言う。
 嬉しさが滲んでいる気がする。
 愛してるを言わなくてもこれでは引いている、ことにならないかもしれない。

「そうだね……霧切さんも十神クンも狛枝クンを警戒してるみたいで。あ、ボクはそんな事ないけど」
「信頼してくれて嬉しいよ」

 しかし、狛枝は自覚している。
 自分は危ない人間である。幸運能力の問題もあるし、苗木に恋しているという面でもそうだ。
 もし狛枝にもう少しだけでも自尊心があったら、今ここで苗木を押し倒しているところだ。

「まボクなんかじゃ、苗木クンに何かできたりしないだろうけど」

 卑下すると苗木は困ったような顔をする。

「えーと……」

 この顔が好きだなと狛枝は思う。

「あはは、ごめんごめん冗談冗談。じゃ、仕事しようか」

 仕事が終わった時、もう少しで愛してると言いそうになった。それはさようならの代わりの言葉にもなっていたからだ。
 だが何とか飲み込んだ。

「じゃ、またね苗木クン」
「うん」

 苗木の態度は全く変わらない。
 しかし気がないからというよりも引いた事すら気づいていないのではないだろうかと狛枝は思った。
 もしくは、狛枝が引いた事に気づいていないように、ふるまってくれているのかもしれない。
(苗木クンは優しいから、ボクに期待をもたせちゃ悪いと思って。あるいはボクが諦めたのを歓迎してるように見えたら悪いと思って)
 どちらもありそうだ。
 やっぱり苗木は優しいと狛枝はますます苗木を好きになるのだった。

「というわけだよ苗木クンって天使でしょ?」
「あー絶望的に自己完結してるわー……、あんたみたいなのって絶望を絶望と感じないわけだから、あたしたちに近いはずなのよね」
「ははは虫唾が走るような事、言わないでよ」
「怖いでちゅ……会話が怖いでちゅ。七海さんに会いたいでちゅ……」

 パソコンの画面を江ノ島と涙をたたえるモノミが二分している。
「あー、あのゲームオタク女どうしてんの?」
「七海さんは別のパソコンにいるでちゅ! あんたには関係ない事でちゅ! こっから出さないでちゅ!」
「はいはい、わかりましたよっと」

 彼女たちの会話はあっという間に狛枝の恋愛話から離れ始めている。
 江ノ島は飽きっぽいし、モノミもうまくいかなかった話は忘れてあげるのが親切でちゅ!と思っている。

「あの、狛枝クン、ちょっといいかな?」

 だがそこに苗木が登場した。

「あっれー。苗木じゃんー。っていうか、苗木じゃんー! お久しぶり! いえーっ、どーしてた!?」

 苗木は江ノ島を見ると顔をしかめた。

「狛枝クン、パソコンの電源、落としてくれる?」

 どろんと煙幕の効果音をたてて、江ノ島が姿をモノクマに変化させる。

「しょぼーん。蚊帳の外ですか? 苗木クンがそんな風に人を仲間外れにするのを楽しむなんて思わなかったんだけどなあ」
「江ノ島さんのパソコンを使ってるの、あんまりよくないって、霧切さんが言ってたんだ」

 そういう霧切もこの残された江ノ島をたびたび立ち上げている。
 それは、彼女と会話する事で、今も各地に残る絶望の残党の所在を推理するためなのだが……。

「霧切さんは公用だからいいけど私用は危ないって」
「ボクは危なくなんかないよ! 無害なクマですよ!」
「江ノ島さんはボクを絶望させる事はできないよ」

 ぷちっと狛枝はパソコンの電源を落とした。正規の手段を踏んでシャットダウンしていないから後ほど何か問題が起こるかもしれないが、知った事ではない。
 江ノ島がよけいな事を言うのを聞くつもりはなかった。
「苗木、狛枝の事なんてぜんぜん好きじゃないでしょ」とか。

「・・・・・・あのさ、最近、狛枝クン、何かボクに怒ってる?」

 心配な事がある時やたずねにくい事を聞く時の苗木のポーズだ。
 ゆがんだ笑みが口に浮かんでいる。

「怒ってなんてないよ! 何で?」
「・・・・・・だってほら・・・・・・最近、ボクに挨拶してくれないし」
「えっ、してるじゃないか」
「そういうんじゃなくて」

 苗木が何を言っているのか、やっと狛枝にも分かった。

「え、その・・・・・・だって苗木クン、気持ち悪いかなって思って」
「そんな事、今まで一度も言ってないよね」
「その、だけど、言ってていいの? だって苗木クンはボクと違う気持ちなんでしょ?」
「そのつもりだったんだけど・・・・・・」

 と苗木が言葉を濁らせるので、狛枝は興奮のあまり頭痛がしてきた。
(どうして、なんで?)
 思うだけでなく口に出して質問していたらしい。
「サブリミナルみたいなものじゃないかな」と苗木は情けなさそうに言う。

「・・・・・・サブリミナル」
「何度も何度も好きだって繰り返すから、流してたつもりだったけど、もしかしたらボクもそうなのかもしれないとか思い始めちゃって・・・・・・」

 そのうち狛枝が好きだと言わなくなると、なんで言わないのだろうと思うようになってきた。

「あの・・・・・・いや、あんまり期待しないでね! だってボク普通なんだよ、何もかも! 好きになるものも! 本当に一般の普通の嗜好でゲイとかじゃないから、単なる気の迷いだと思って、ごめん狛枝クン泣かないで!」

 泣いているのは嬉しいからだ。

「苗木クンが気の迷いでもボクを好きかもと思ってくれるなんて! 今日を苗木記念日にしたい!」
「やめて!!!」

 心の底からの抗議のようだった。

「これからは、また言うようにするよ。愛してるよ、苗木クン。これでよかったらいいけど、もしだったら書類、なおしてくるね?」
「・・・・・・ごめん、ボク、もう一度読んでいいかな」

 苗木は頭を下げた。狛枝の挨拶に気を取られていて、あまり集中して読めていなかったのだと言う。そんなエピソードを聞くと、狛枝はさらに興奮でくらくらした。
(まるでほんとにボクのこと、気になってるみたいだ)

「苗木クンも、ボクと同じ挨拶してくれる?」

 と調子に乗ってきくと「それはだめ」と言われた。ただ動揺した顔で言われたので、それもまた嬉しかった。

「サブリミナルすげー!! 何それ! 絶望絶望絶望絶望ってサブリミナルしてれば苗木も洗脳できるわけ?! よっしやってみよっと!」
「その対策はモノミがしてくれるから大丈夫でしょ」

 と言いつつも、狛枝は江ノ島にのろけた事を少し後悔する。
(苗木クンには当分、近づかせないようにしよう。危ないからね!)
 それが狛枝の愛である。
 コンセント引き抜いておこうと思う。
 ちなみにモノミ先生もショックを受けていた。 
「がーん!」とモノミの顔に書いてあるのが、そこに誰かがいたら見てとれたはず。
 こんな簡単な事でうまくいくなんて!

「あのね、あちしは本当はとってもよくできる女教師なんでちゅよ」

 狛枝と江ノ島が鬱陶しがっても、モノミの口癖はしばらくの間、そのままだった。

【完】





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