狛枝ペンションの夜。(狛苗・日苗)かま○たちの夜とコラボしたらこんな感じだろうか……。


 雪が積もった道を長々と運転してようやっと、そのペンションは見えてきた。

「ついたね! これだけかかると楽しいよね!」
「ああ……結構、遠かったな……」

 この苗木と日向のコメントはそれぞれのパーソナリティを示している。
 前向きな苗木と、メンタルの弱い日向。
 運転していたのは苗木なのに、助手席の日向の方がずっと疲れている。
 そのぐったり具合はペンションのオーナーの顔を見ると、いよいよ強まる。

「苗木クン、日向クンも。来てくれたんだね」

 やあようこそと両手を広げる狛枝のジェスチャーはどこか海外っぽい大げささだ。

「元気にやってるみたいだな」
「日向クンは車酔いでもしたの?」
「俺のナビが間違ってたらどうしようかと思ったんだよ。お前がこんな山奥に引っ込むからな」
「あははは、まあまあ。ここの宿代はボクのおごりなんだし、休暇と思って楽しんでよ」
「温泉もあるんだよね?」

 単に楽しむ気満々なのか、日向を元気づけようとしているのか、狛枝への愛想か、苗木は笑顔だ。

「うん、おすすめだよ。料理も腕をふるわせてもらうよ」

 狛枝も笑顔だ。彼の笑顔はデフォルトである。

「やー苗木、来たんだー! よかったー! 来ないかと思って心配しちゃったよー! もー!」
「朝日奈さんも元気そうでよかったよ」
「えへー。まあ、水泳ほどじゃないけどさ、体を動かすの好きだし、超高校級のスキー選手のコーチするのも悪くはないんだよね、これが」

 水泳以外にもたくさんの競技の助っ人をしていたという朝日奈は、未来機関から頼まれて、冬の間だけ近くのスキー場でコーチをするとともに、このペンションの手伝いもしていた。
 よく体がもつなあと苗木は感心したが、朝日奈の体力からは朝飯前らしい。

「いい仕事だよ! それにここの温泉、きっもちいいし! もう入って! すぐ入って!」
「あはははは、日向クン、どうする?」
「ああ、苗木が入るなら、俺も」
「よし、じゃあボクも」
「お前は仕事があるだろ!」
「えー、ずるいよ、日向クンばっかり苗木クンと遊んで」
「俺たちは一応休暇で来たんだ」

 日向からすれば、苗木といるのは心休まるが、狛枝といると爆弾といるような気持ちになるのだ。
 未来機関が狛枝が残った財産を使って、山奥にペンションを開く事を許したのも、彼に遠くにいてほしいからだったのではないだろうか。
 何しろ、あの呪われた幸運の能力があるのだから。

「でも忙しいなら手伝うよ。他にもお客さん来てるみたいだし」

 苗木は目ざとく他の人間の靴もチェックしていたのだった。

「とんでもないよ。苗木クンはゆっくりしてってよ」

 ほとんど平身低頭といった態で狛枝は断る。
 絶望から転向し、今ではまた希望を信じきっている狛枝は、絶望の親玉を倒した苗木には物腰が低い。

「予備学科の日向クンは後で手伝ってくれてもいいよ」
「お前のその扱いの差は納得がいかないが断る。っていうか、俺たち以外にも結構客いるんだな。安心した」
「うん、ありがたいことに、それなりに繁盛させて貰ってるよ」

 狛枝の幸運の能力のおかげだろうか。と日向と苗木が疑う前に狛枝は片目を閉じて種明かしをする。苦笑している。

「ここらへんには他に旅館らしい旅館もなかったせいだろうけど」
「そうなの? スキー場があるのにね」
「少し離れたところに温泉街があるせいもあるだろうね」

 確かにそうだ。
 しかし、そちらもなかなか繁盛しているようだった。
 少なくとも、絶望が世界を覆う前はそうだったし、今では都心を覆う絶望の嵐から逃れた人々が隠れ里のようにかつての温泉街に暮らして、街の様相を呈している。
 そして生き残った裕福な人々が温泉宿を潤しているようだった。
 十神は先日楽しんできたとさりげなく自慢していた。

「こっちにも需要ありそうだけどな。スキー場が近いし」
「でもここは雪女の伝説があるからね」
「そんな迷信信じてるのか?」

 日向が笑うと、狛枝はむっとした表情を隠さず、髪の毛をいじった。

「苗木クンの前で馬鹿にしないでほしいな。ボクは信じちゃいないよ。だけどほら商売をする人達ってゲンをかつぐらしいし」
「幽霊なら怖いけど雪女はそうでもないかな」

 と苗木は苦笑する。
 雪女といって苗木が連想するのは霧切だ。冷たくてミステリアスな美人。怖くはない。

「それにここらへんには自衛隊の秘密基地があるっていう都市伝説があるんだ」
「ああ、それは聞いたことあるな。スパイがどうのこうのって。絶望のスパイじゃなきゃどうでもいいさ」

 江ノ島を失った絶望は数こそ少なくなったがまだ秘密結社よろしく暗躍している。

「……もしかして、お前がここにペンション開いたのって、未来機関からの指図でここらへんに絶望の残党がいるとかそういう事じゃないよな?」
「さすが日向クン、ネガティブな想像、ついていけないよ」

 ほめているのか、けなしているのか、狛枝は嬉しそうに手を叩く。

「大丈夫だよ日向クン、そんな事があったら、ボクの耳にも入ってるから」

 順調に出世を重ねている苗木はだんだんと未来機関で任される仕事が増えているのだ。
 その地位からくる慰め方に「苗木クンはVIP待遇しないとね」と、狛枝が感心したように首を傾げる。

「そんなのいいよ」
「いや、ペンションのお客さんも感心してたよ。未来機関から来た人たちがいるって言ったらさ」
「えっ話しちゃったの?」
「ごめん、自慢しちゃったんだ。だめだった?」

 狛枝は邪気がないが、苗木が顔をくもらせたので青くなった。
 他の客から未来機関について質問される事を考えると、少し気が重くなった苗木だが狛枝の手前「ううん大丈夫だよ」と言っておく。

「ごめんね苗木クン、ボクって本当にゴミクズだよね。罵ってもいいんだよ!?」
「い、いや、大したことじゃないよ。平気だよ」

 それを期待されているみたいだったが、苗木は断っておいた。
「ねえ、それより温泉温泉! すいてる方が気持ちいいよ!」と朝日奈。
 シャンプーやリンス、タオルなどのアメニティは一応全て風呂場に揃っているらしい。
「そうするか」と、日向は苗木に聞いた。
(これ以上、狛枝から嫌な話を聞いたらさらにこの休暇にネガティブになりそうだしな)というのが内心。

「そうだね」
「だったら、2人とも、夜はボクと一緒に裸のつきあいだよ」
「嫌な言い方するな」
「普通の言い方でしょ?」

 なぜかそれが狛枝の口を通ると嫌なのである。




「ふうー……生き返るなあ」
「ああ、そうだな……」
 苗木はぬくぬくと温泉に口の上までつかっている。

「幸せだね。未来機関も粋なことをしてくれるよね。本当はこういうの、皆で行って親睦を深めるんだろうけど」
「そうもいかないだろ」

 かつて超高校級だった人員は限られている。それにまとめて休暇が取れるような状態ではない。

「これ本当に休暇なのか?」

 日向はまだ疑っていた。

「もしそうじゃなくても、それはそれで久しぶりに狛枝クンに会えたし、朝日奈さんも元気そうだったし、日向クンと旅行するの楽しかったからいいよ」
「……俺も楽しかった」

 ぼそぼそと日向は同意する。苗木のそばにいると日向はいろいろ学ぶべきことがあった。前向きさとか、考えの明るさとか。

「お前といると落ち着くよ」

 しかし、その落ち着きをぶち破るように暗い声が響いた。

「あ、あんたたち何してるのよ……」
「えっ、腐川さん?」
「ひ、人がいないと思って掃除しにきたのに……」

 がたがたと腐川は震えている。

「ここで働いてるの?」

 わあわあと慌てる日向は苗木と同じく口まで湯船に浸かる。
 腐川という女に日向はあ「腐川さんここで働いてるんだ。そうか、最近見ないと思ったら」

「ぜ……絶対左遷よ…左遷なのよ…私が使えないからってこんなとこで、あんないかれた男と一緒に働かせるなんて…」
「未来機関から派遣されてるの?」

 苗木の顔がびっくりで覆われる。

「そうよ……狛枝あいつ…何するか分からないって…私に探れって……私なら殺されても死なないだろうって…ばっ、ばかにしてっ…」
「確かにジェノサイダーがいるから強いよね。ごめんね、すぐに湯船から出るから」
「ちょっ、ちょっと! 今湯船から上がったらセクハラで訴える…わよっ!」

 後ずさる腐川はエプロンと茶色いワンピースという普段着のせいで、背広の時よりもいっそう地味に見えた。

「あ、いや、すぐには出ないから上がっててくれ」

 あわてているのは日向もそうだ。大きく手を振る。

「わ、わかったわよ。べ、別に見たいわけじゃないし……」

 と言っている顔が赤く不気味な笑みを浮かべているので、日向は「こいつはどういう女性なんだ」という目で苗木を見た。
 苗木は無言で頷いた。そういう女なのである。

「じゃあ、外に出ててね、腐川さん。五分で出るから。そしたら入ってきて」
「分かった、わ……」

 のろのろと出て行った腐川の後、苗木も湯船から立ち上がり、最後の湯を体にかける。

「やっぱり! ここは左遷先なんじゃないのか? 狛枝が気に入ったら、俺たちもこっちに隔離されるんじゃないのか? 今の腐川ってやつみたいに!」
「勘ぐりすぎだよ、日向クン」
「そりゃ江ノ島を倒した英雄のお前はないかもしれないが、俺なんて元々予備学科だし、あいつらは俺をここに左遷する気でよこしたのかもしれないじゃないか!」
「そんな事ないって。日向クンがいてくれてボクすごく助かってるんだから。もしも日向クンが左遷されそうになったら、ボクが上にそう掛け合うよ。いなくなったら困るから」
「……苗木。ありがとう」

 本当にそうして欲しい。
 心落ち着く苗木や、やりがいのある未来機関のしごとから遠ざけられて、この山奥にある狛枝のペンション(不気味な腐川つき)に閉じ込められるのだとしたら、もう一度カムクラになって現実逃避したいくらいなのだ。

「うん。大丈夫大丈夫だから、とりあえず、お風呂から上がろうよ」

 洗い場で手ぬぐい一枚のまま、手を握り合うというのは、いつも前向きな苗木の目をすら遠くさせるものである。

「おっ、上がったね。どうだった、お湯の方は。きもちよかったでしょー?!」

 いつにも増してテンションの高い朝日奈。

「うん。腐川さんがいる事教えてくれないから、びっくりしちゃったよ」
「あ、言ってなかったっけ? なんかさ、世界は狭いっていうか、77期と78期だけ働く場所固まってる感じだよねー」

 けろりとしたものだ。

「ここに慰安旅行でよこされた奴らは、その後、ここに左遷されるとか、ないんだよな?」

 まだ不安な日向に聞かれて「えー?」と朝日奈がびっくりした顔をする。
 それから口を尖らせた。

「左遷とか、言ってくれるなあ。私ここで働いてるんですけど?」
「ごめん。そうだよね」
「まあ、未来機関で書類仕事とか面接とかやってた時に比べると驚くほど暇だから、左遷って言ったら左遷なのかなあ、あははは」
「やっぱり……やっぱりそうなんだ……」

 床にうずくまり頭を抱える日向。

「ひ、日向クンしっかりして! 大丈夫だから! 朝日奈さんも無責任な事は言わないで! 日向クン繊細だから!」
「ご、ごめん苗木……!」

 もうこの時点で苗木にとってこれは慰安旅行ではないものになりかけている。

「大丈夫だよ日向クン」
「……ソウダロウカ……」

 どんよりとした感情の無い目は、カムクラだったころのようだ。
 大丈夫ではなさそうだ。

「しっかりして、日向クン! 目がやばいよ!」

 ゆさゆさと日向の肩をゆさぶる。苗木の方がだいぶ小柄なので、大変だ。

「あれ、どーしたの苗木クン」

 のんびりと狛枝がやってきた。飛び上がった日向が苗木に抱きつく。

「お、俺はもうお前とは働かないからな! これまでみたいに苗木とすごすんだ!」
「何、それうらやましいなあ。苗木クンもしばらくここで働かない?」
「おいこら聞いてるのか! 俺はここに左遷なんて絶対いやだからな! いや、お前に言ってもしょうがないのか……! いや、お前の幸運の力で何とかできないのか」
「左遷って、ここは未来機関の管轄じゃなくて、一応、ボクの独立先なんだけどな」

 やれやれと狛枝は腕を組んでため息をつく。

「朝日奈さんはここで手伝いをしつつ、未来機関の仕事をしてるけどそれだけだよ」
「腐川さんがいたから驚いちゃったんだよ。いつからいるの?」

 と苗木が狛枝に聞く。

「ああ、腐川さん? 一か月前からかな。冬の間は客足が増えるからバイトを募集したらさ。未来機関はボクを見張りたいみたいだね」

 気づいてはいて、気にしてないだけらしい。

「ジェノサイダーがいても怖くないの? 狛枝クンかっこいいから萌え対象になるかもしれないよ」
「ボクは幸運だからね。殺人鬼程度じゃ殺せないよ。でも、苗木クンにかっこいいなんて言って貰えるなんて嬉しいな」

 喉を鳴らして笑う狛枝。

「で、日向クンはここに左遷されるかもって心配してたわけ? 相変わらず後ろ向きだなあ」
「だっ、黙れ! 俺に謝れ!」
「日向クンはここには向かないよ。残念だけどね」
 
 と狛枝は首を傾げる。

「ここってさ、本当何もないんだよ。寒いし、日向クンなら一発で精神をやられるよね。朝日奈さんとか腐川さんとかは、もうメンタルがちがちに強いでしょ」
「……言えてる」

 と苗木も考えるポーズで頷き、自分の弱点を知っている日向も「くそっ、悔しいが正しい!」と吐き捨てる。

「じゃあ、なんで俺らがここに呼ばれたんだ」
「だから、単純にここで休暇なんじゃないの? まあ、もしかしたら、先日ここで起こった殺人事件について調査してほしいのかもしれないけど」
「「ぶっ!!」」

 と日向と苗木は同時に噴出した。

「そ、それだー!!」
「ま、ボクの周りでは日常茶飯事の事なんだけどね! 実は、それを利用して、ここに殺したい相手を送りつけてくる人もいるくらいだよ!」
「……俺たちも命を狙われてるとかないだろうな」
「日向クン……大丈夫だよ。っていうか、狛枝クンはそれを知ってて、いいの?」
「ボクの傍で人が死ぬのはいつものこと。だけど、ここにいるなら、死んでもいいような人たちが送られてくるでしょ?」

 にたりと笑う狛枝は、まだ微妙に絶望っぽかった。
 頭を抱える日向を見ながら、苗木は(ああ、そうか、これって仕事なんだな)と自覚するのであった。


【完】

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